なぜ東工大が中分子創薬に乗り出しましたか?
東京工業大学は、生物学や化学の分野では世界的な貢献をしてきましたが、創薬に乗り出したと聞くと不思議に思われる方がいるかもしれません。これは創薬の分野が大きく変わりつつあることと関係しています。
現在、がんの治療などで、抗体と呼ばれる「高分子」を使った創薬が注目されています。狙った標的だけに強く結合し、すぐれた効果を発揮できますが、製造コストがきわめて高い点が社会的な問題になっています。
これに対して、ペプチドや核酸などの「中分子」を使った創薬では、決まった部品の組み合わせで薬を組み立てるため、低コストで合成できます。また抗体ほどは大きくないので、細胞の膜をくぐりぬけて細胞内部の標的を狙うことも可能です。このように中分子医薬は、従来の低分子医薬と、抗体医薬の良いとこどりをできると言われています。しかし中分子創薬にはまだ未解決な課題も多く、東工大が保有する化学合成技術や、スーパーコンピュータによる解析技術が、大きく役立つと期待されています。
スパコンで何ができるようになるのですか?
中分子は、従来型の低分子の薬剤に比べると構造が複雑ですので、その性質を知るための計算機シミュレーションの手間が、桁違いに大きくなってしまいます。また、これまで低分子向けに開発されてきた統計的な予測手法がほとんど使えないため、全く新たに機械学習による予測モデルを作り直しています。これらの計算を短期間で実現するために、我々は東工大が保有するスーパーコンピュータTSUBAMEを活用しています。
開発している技術の詳細
1. 体内持続性の予測
我々は2017年に、中分子IT創薬研究推進体MIDL(ミドル)を設立しました。東工大の化学、生物学、薬学、情報科学、社会科学の専門家が結集して、中分子創薬の課題を、特にITを活用しながら解決することを目指しています。大岡山キャンパスや、すずかけ台キャンパスでも研究を進めていますが、ここ川崎市殿町の拠点では、特にペプチドを使った創薬の研究をしています。
研究の一つ目の柱は、ペプチドが体内に入ったあとの薬剤効果の持続性を、計算機で予測することです。たとえば30分間で全て分解されてしまうのでは、薬として実用的ではないので、適度な持続性を持たせる必要があります。
専門的には、PPBと呼ばれる値を、実験をせずに計算だけで瞬時に求め、どの部分を改良すれば良いかを提案できる技術を開発しています。このテーマでは、主にスパコン上での機械学習の手法を活用しています。
2. 細胞膜透過性の予測
研究の二つ目の柱は、ペプチドが細胞膜を透過して細胞内の標的まで到達できるかどうかの予測です。薬剤のどの部分を改良すれば良いかを提案できる技術を開発しています。このテーマでは、主にスパコン上での分子動力学シミュレーションを活用しています。中分子の膜透過は、数ミリ秒かかる現象で、人間の感覚からすれば一瞬ですが、分子の世界の時間でいうと途方もなく長いプロセスです。従来は不可能だった、長時間のシミュレーションを可能にするために、新しい計算法をTSUBAMEスパコンの上で実現しました。
どのようなきっかけで計算機を用いた薬の研究開発に興味をもたれたのでしょうか
若い頃はニューラルネットワークという、全く異なる分野の研究者でしたが、生物学や創薬には強く興味をもっていました。私が恵まれていたのは、常に最先端の計算機開発プロジェクトの近くで働いてきたことです。今の計算機は、私が若い頃の計算機の10億倍も高速ですが、どんどん高速になる計算機を何に使うべきか?ということをいつも考え、様々な分野の方と議論させていただきました。現在は創薬やゲノム解析の分野にスパコンを最大限活用しています。
事業化に向けた計画、スケジュール
ペプチド創薬については、同じ殿町にあるペプチドリーム社と、ここ数年にわたって共同研究をさせていただいています。また川崎市域のIT企業等とも連携をはかっています。
先ほどお話したプロジェクトのうち、ペプチドの体内持続性の予測については、2019年の実用化を目指しています。膜透過性予測については、まだまだデータが不十分ですが、持続性予測よりも1~2年遅れての実用化を考えています。
キングスカイフロントへの期待
キングスカイフロントには、関連機関が集まっているので、議論が本当に速く進みますね。私たち東工大MIDLが入居しているRGB2棟には、慶應義塾大学も入居されていますが、計算機サーバー室を共同利用させて頂いており、研究プロジェクトでもご一緒しています。
先ほど述べたペプチドリーム社に加えて、現在は国衛研(国立医薬品食品衛生研究所 )とも共同研究を進めています。
これからますます優秀な研究者たちが、殿町に集まってきますので、大変楽しみです。